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世界初の市販用レトルトカレー。
それは、先見性と情熱から生まれた。
ボンカレー

温めるだけで手軽に調理できる。必要な時に一人分ずつ用意できる。高齢化や共働き世帯の増加といった社会の変化を背景に、その市場を拡大し続けるレトルトカレー。2017年には、はじめてカレールーの市場規模を上回ったという。しかし、そんなレトルトカレーの元祖が、じつは大塚グループであることはあまり知られていない。1968年に発売された世界初の市販用レトルト食品、ボンカレー。それは、製薬会社であった大塚グループの、未来を見据えた新しいチャレンジであった。

1960年代。当時の大塚製薬徳島工場長、大塚明彦がボンカレーのヒントを得たのは、米国のパッケージ専門誌「モダン・パッケージ」に掲載された「US Army Natick Lab」の記事。そこには、缶詰に代わる軍用の携帯食として、ソーセージを真空パックにしたものが紹介されていた。この技術をカレーと組み合わせたら、お湯で温めるだけで食べられるカレーができるかもしれない。当時、カレーの保存食としては缶詰が存在していたが、より扱いが簡単なレトルト食品に大きな可能性を見出したのだ。これから時代が進んでいけば、人々のライフスタイルは大きく変化していくはずだ。そんな先見性こそが、世界初の市販用レトルトカレーを生み出す原動力であった。

ボンカレーの開発に役立ったのが、大塚グループが輸液事業で培ってきた殺菌技術。この技術を応用してレトルト釜をつくり、レトルトパウチにカレーを入れて高温殺菌のテストを何度も何度も繰り返す。熱をかけるとパウチの中身が膨らむので、それを抑えるために圧力をかける。このバランスが難しく、失敗すると実験室にはいつもカレーの匂いが漂っていた。じゃがいもは冷凍ではなく生のものを使い、芽取りを手作業でおこなう。高温で加圧殺菌することを計算して、具材のカットを工夫する。そんな試行錯誤を繰り返して、ボンカレーの「お母さんが作ってくれたようなやさしい味」が完成した。

1968年2月、阪神地区で限定販売。当時のレトルトパウチは高密度ポリエチレンとポリエステルの2層構造で、光と酸素によって風味が失われてしまうため保存期間が短く、シールが甘い、振動などの衝撃に弱いなど、世界初の試みゆえにさまざまな課題も見つかった。一部の商品は膨張して箱が崩れ店の棚から転がり落ち、「夜になるとボンカレーが勝手に歩き出す」と揶揄されることもあった。この経験から、開発チームはレトルトパウチをアルミ箔の入った3層構造に改良する。こうして課題を解決し、長期保存も可能になった。賞味期限を2年にまで伸ばしたボンカレーは、1969年5月、いよいよ全国販売にこぎつける。

カレーライスが食堂で1食100円だった時代に、1箱80円。割高と感じられることが多かったため、試食してもらう機会を増やした。日本全国に10万枚近いホーローの広告看板を設置した。そうした努力が実を結び、発売から5年後には年間販売数1億食を達成する。ボンカレーが広く世の中に受け入れられた背景には、いつも社会の変化があった。1980年代には女性の社会進出が後押しされ、1990年代になると高齢化や人口減少によって一人暮らし世帯が増加。「個食」化が進む世の中の声に応えるように、2003年には電子レンジ対応商品も開発した。1968年の発売から、約半世紀。これからもボンカレーは社会の変化に寄り添いながら、変わらぬおいしさを届け続けていくだろう。

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